村上ファンド事件などで世間を騒がせた村上ファンドの現在。ホリエモンとの関係性は?

 

村上ファンドとは

(画像:Unsplash

「村上ファンド」は、かつて村上世彰氏が率いていたコンサルティンググループの総称です。インサイダー取引容疑で村上氏が逮捕された翌年の2006年に解散しました。中核企業3社を中心にグループ各社が、投資や投資信託、企業買収・合併に関わっていたとされています。 ここでは「村上ファンド」の実態について説明します。

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代表は村上世彰

「村上世彰」氏は村上ファンドの創業者であるとともに、代表としてグループを率いていました。村上氏は1959年に大阪で生を受け、灘中学校・高等学校から1年の浪人を経て東京大学法学部に入学します。東大卒業後は通商産業省(現在の経済産業省)に入省し、在職期間に日本の経済界とのつながりを強めます。そして1999年には起業して、株式会社M&Aコンサルティングを設立しました。 在日台湾人だった父が華僑の貿易商だったことから、村上世彰氏も小学生の頃から株を始めたとされています。

 

村上ファンドは投資・企業のM&Aなどを行なっていたファンド

村上ファンドは、「株式会社M&Aコンサルティング」「株式会社MACアセットマネジメント」「株式会社エム・エー・シー」という3つの企業を中心に10の投資事業組合を持ったグループでした。元野村證券次長だった丸木強氏の他、元警察庁官僚だった滝沢建也氏も創業メンバーです。 投資や投資信託をはじめ企業のM&Aも行っていましたが、村上ファンドを有名にしたのは「敵対的TOB」を積極的に行ったことでした。

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村上ファンドの主な実績や保有銘柄

(画像:Unsplash

敵対的TOBとは経営権を握るために公開買い付けをして、筆頭株主になる行為をいいます。積極的に敵対的TOBを行っていた村上ファンドは、様々な銘柄の株券を保有し多くの実績を残しています。 ここでは村上ファンドの中でも有名な銘柄と、そこでの実績について説明します。

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東京スタイル事件

東証1部上場企業である株式会社東京スタイルは2002年当時、1300億円を超える預金を原資にビル建設を計画していました。 しかし村上ファンドはビル建設に対して消極的な意見を持っており、それを阻止するために東京スタイル銘柄を購入することで筆頭株主となります。そのうえでビル建設の中止と、預金を原資に自社株の購入を要求しました。 村上ファンドの自社株買い提案により東京スタイル銘柄が最大で15%以上上がったため、社会に認知されるようになりました。

阪急ホールディングスと阪神電気鉄道の経営統合

2006年当時、阪神電気鉄道の筆頭株主は村上ファンドでした。公開されている株式のうち、実に46.82%を保有していたのです。村上ファンドは筆頭株主としての発言権を行使して、阪神タイガース球団を上場など阪神電気鉄道経営に関する様々な提案を行っていました。 しかし阪神電気鉄道側はそれを良しとせず、阪急ホールディングスに対し経営統合を持ち掛けます。同社が基本同意したことから、役員派遣による経営参入を計画していた村上ファンドに先駆けてTOBを行いました。

 

シンガポールに進出

村上ファンド事件は2007年6月に保釈された村上氏は、活動の拠点をシンガポールに移します。 その背景にはシンガポールは日本とは異なり、当局が投資ファンドを積極的に誘致していたことがあるようです。シンガポールは、企業や個人における金融資産の秘密保持が徹底されていることが理由です。シンガポールは他国から金融資産に関する紹介依頼があっても、情報提供を拒むケースが少なくないことから活動しやすいと考えたのでしょう。 とはいえ村上氏が日本の株式市場をホームグラウンドにしていることに、変わりはありませんでした。

村上ファンド事件

(画像:Unsplash

2006年に起こった「村上ファンド事件」は、「ライブドア事件」と大きく関わっていました。東京地検特捜部がすでに逮捕されていた堀江貴文容疑者に対し、3つめの立件を目指して捜査している過程で村上世彰氏に着目したことがきっかけだからです。 ここでは「村上ファンド事件」の詳細について説明します。