憐憫(れんびん)の意味や使い方、同情との違いや自己憐憫についても解説!

憐憫(れんびん)の意味は「憐れむこと」

(画像:Unsplash

「憐憫(れんびん)」という熟語は自ら書く機会は少なくても、よく見聞きしているはずです。「憐れむ」や「悲しむ」「惜しむ」を指す「憐」と、「可哀相に思う」「気の毒に思う」を意味する「憫」が使われています。 そのため「憐憫」は「哀れに思う」と「情けをかける」という、2つの意味を持ちます。

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憐憫の類語は「同情・不憫」

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「憐憫」にはいくつかの類語があります。「同情」や「不憫」以外にも、「惻隠(そくいん)」「可哀相」「憐情(れんじょう)」などがあげられます。しかし意味を紐解いていくと、類語によって用いるべき対象やシーンが異なることがわかります。 ここでは「憐憫」の類語でも使用頻度の高い「同情」と「不憫」を取り上げ、例文を紹介しながら対比して説明します。その違いを理解して、適切に使えるよう覚えておいてください。

 

「憐憫」と「同情」の違い

「目上の人が自分より目下の人が陥った不幸な状況や哀しい気持ちに対し感じるあわれみの気持ち」を、「憐憫」といいます。一方の「同情」には、「他人の不幸やその悲しみを自分のことのように感じる」という意味があります。 この2つが決定的に違うのは、相手に対して寄り添う立場です。「憐憫」は立場が上の人が下の人に対して持つ感情ですが、「同情」は同等あるいは目下の人が目上の方に対しても感じます。さらに「憐憫」は自分の気持ちを表す時ではありません。自分が他者を見て気持ちが動かされた時に対使われる言葉でもあると、覚えておきましょう。

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「憐憫」と「不憫」の違い

「憐憫」とほぼ同義な使われる類語は「不憫」です。「あわれむ」「情けをかける」こと意味する「憐憫」と比較すると、「不憫」は「可哀相に思う」「気の毒に思う」ことなので、ニュアンスは微妙に異なることがわかります。 「憐憫」は他者が直面している苦境やそれによる悲哀について、「感じる気持ち」を表しています。しかし「不憫」はどちらかというと、「そう感じる状態」を指す時に使います。「憐憫の情」はあるのに「不憫の情」という表現がない理由は、その点にあります。使うのに適したシーンが異なるので、覚えておきましょう。

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憐憫の使い方と例文

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「憐憫」を使った言い回しは複数あります。「憐憫の情」「憐憫の眼差し」「憐憫を垂れる」「憐憫の念」「憐憫を仰ぐ」などが、その例です。 ここでは特に使用頻度の高い「憐憫の情」「憐憫の眼差し」「憐憫を垂れる」の3つについて、例文を交えながら説明します。シーンに合わせて適切に使い分けましょう。

例文①憐憫の情

「憐憫の情」という言葉は使用頻度が高いので、見覚えのある人が多いはずです。「憐憫の念」と同じ意味なので、言い換えられることもあります。 ・上司の責任を押し付けられて閑職に回された後輩に、憐憫の情を覚えたものの手を差し伸べることはできませんでした。 ・両親が事故死したことで大学進学を断念し、弟妹の面倒を見ている教え子に憐憫の情が起こりました。 「憐憫の情」は、「あわれに思う」「可哀相である」という感情を表しています。そして例文以外の使われ方として、「憐憫の情を禁じ得ない」「憐憫の情を誘う」があげられます。

 

例文②憐憫の眼差し

「憐憫の眼差し」は感情と共に状況を伝える表現として用いられます。 ・寸暇を惜しんで勉強したにも関わらず、希望の大学に合格できなかった後輩にみんなが憐憫の眼差しを送りました。 ・周囲の忠告を無視して保証人を引き受け自宅を手放す羽目になった彼に、憐憫の眼差しが注がれました。 「憐憫の眼差し」には「声をかけるのがはばかられるほど相手が弱っている時に、あわれむように視線を向けた状態を表しています。

例文③憐憫を垂れる

「憐憫を垂れる」は、より使い方が限定される言い回しです。 ・残業や休日出勤をいとわずに努力しても成果が上がらない後輩に上司は憐憫を垂らし、積極的にアドバイスをしていました。 ・母を亡くし生活が一変し勉強がままならない彼女の姿に憐憫を垂れたのか、先生がサポートを申し出たようです。 情けをかける人とかけられる人の関係性がより強調されるのが、「憐憫を垂れる」です。使う時には対象が誰なのか、その関係性にも配慮しましょう。