工場制手工業をわかりやすく説明!問屋生家内工業との違いも明確に!

工場制手工業とは

工場制手工業は19世紀頃に登場した仕組みです。問屋制家内工業と混同されることが多いですが、内容はまったく違います。 19世紀に入り、問屋制家内工業に限界を感じ始めた一部の地主や問屋が自身の敷地に工場や作業場をつくり機械や原料を準備し、農村から奉公人を呼び寄せ作業に当たらせました。この生産形態を工場制手工業といいます。

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工場制手工業はマニュファクチュアとも呼ぶ

工場制手工業とは、生産手段を持っている資本家が仕事場となる工場を用意しそこに労働者を集め、分業による流れ作業に従事させることで賃金を払う形態をいいます。 工場制手工業はマニュファクチュアとも呼ばれ、第一次産業革命で先陣をきったイギリスで始まりました。 当時のイギリスは農業革命によって農民の多くが土地を失い、仕事を求めて都市部に流入していました。その労働力に着目した資本家が、綿工場で雇用したことが始まりとされています。

 

工場制手工業の仕組み

工場制手工業は、作業場に労働者を集めて分業により協業させることで成り立っています。 携わる労働者は専門性に従い仕事を分担します。従事する仕事は人それぞれですが、流れ作業によって1つの製品が出来上がります。 製糸工場を例にあげると、糸をつむぐ人、糸を染める人、糸を巻く人と手分けして作業を行うという仕組みです。 1人で同じ作業を行うより協業で行う方が大量の製品をつくることができます。

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工場制手工業は資本主義

工場制手工業は資本主義の台頭とともに生まれました。 資本主義とは、資本家や企業が生産手段を持ち労働者を雇って清算作業を行わせることで自分たちの利益をあげるという経済体制のことです。 18世紀後半にイギリスで第一次産業革命が起こり、私有財産制が認められたことで資本主義が確立します。日本では明治維新以降に導入されました。地主が小作人を雇って農業を営むのも工場制手工業です。

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工場制手工業と問屋制家内工業の違い

工場制手工業は、工場などの作業場に労働者を集めて流れ作業で生産を進めます。 対して、問屋制家内工業は労働者が資本家からお金や材料を調達し自宅でものづくりを行う形態をいいます。 日本では休耕期に農民が商人から材料やお金を借り、自宅でものづくりをするという形で発展しました。 問屋制家内工業でできた製品は資本家が買い取り、そこに自分の取り分をのせて消費者に販売することで利益を得ます。 この2つの一番の違いは労働者が独立しているか否かです。 工場制手工業は資本家に労働者として雇用されますが、問屋制家内工業は農民が独立した自営業者として生産を請け負います。

工場制手工業は産業革命以降のイギリスで発展

資本主義の歴史を振り返ると16世紀半ばから18世紀後半にかけて、先進国であるイギリスが工場制手工業を発達させたことがわかります。 当時、絶対王政下にあったイギリスは問屋制家内工業が主流で重商主義に基づく輸出中心の貿易体制が敷かれ、商業資本家に独占権を与えた見返りとして王政に収益配分を収めていました。 一方の工場制手工業は富裕な市民階級である産業資本家が、労働者を単一の作業場に集めて分業・協業により製品を量産し、利益を得ています。イギリスでは特に、繊維や金属を効率よく製造するために工場制手工業が推進されました。

 

日本では工場制手工業が富岡製糸場として発展

日本における工場制手工業の発展を語るうえで欠かせないのが、「富岡製糸場」です。 江戸時代末期に鎖国を解いて外国と貿易を始めた日本にとって、生糸が最大の輸出品でした。明治維新を経て富国強兵を目指した日本政府は、生糸の品質の改善と工場生産に乗り出します。 その際に、官営の模範工場としてつくられた富岡製糸場に洋式の繰糸器械を備え、全国から工女を集めます。外国人指導者から洋式の製紙技術を学んだ工女が出身地に戻り、器械製糸と指導者となり全国に発展したのです。

まとめ

今回は、工場制手工業について問屋制家内工業との違いも含めて紹介しました。 工場制手工業を取り入れ工程別に分業することで、問屋制家内工業よりも生産性が向上し商品を量産できるようになったのです。 現在では機械制大工業が主流ですがそれも工場制手工業を経て生まれました。工業の変遷とともに工場制手工業の仕組みを覚えておいてください。