畢竟(ひっきょう)の意味や語源・類語との違いなど解説します

畢竟とは

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「畢竟」は大変難しい言葉です。一般の人は書くことはもとより読むことすら難しいのではないでしょうか。ましてやどのような使い方をしたらよいのかわからない人は多いでしょう。 まずは正しい読み方と意味を理解し、言葉のルーツである語源も見ていきましょう。

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畢竟の読み方は「ひっきょう」

「畢竟」は「ひっきょう」と読みます。「ひきょう」と読まないように気を付けましょう。二つの漢字はどちらも音読みで読みます。 「畢(ひつ)」は訓読みでは「おわる、ことごとく」と読み、「竟(きょう)」は音読みで「けい」とも読まれ訓読みでは「おわる、つきる、きわめる」などと読みます。 それぞれの漢字の訓読みを理解すれば「畢竟」の意味も何となく見えてきます。

 

畢竟の意味は「つまり」「究極の」

「畢竟」は名詞として使う場合と副詞として使う場合がありますが、どちらもニュアンスは同じです。名詞として使う場合は「最終」とか「究極」の意味になり、副詞として使う場合は「つまり」「最後に」「挙げ句の果て」という意味になります。 「畢」も「竟」もそれぞれ単独でも「おわる」を意味しますので、「おわる」という意味の同じ漢字が二つ重なってより強調された表現になり、「最終」「つまり」「究極の」といった意味になります。 「畢竟」は難しい言葉であるため実際に使うとなる戸惑います。記事の後半で応用できる例文をのせますので参考にしてください。

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畢竟の語源はサンスクリット語の「atyanta」の訳

「畢竟」の語源はサンスクリット語の「atyanta」です。サンスクリット語の「atyanta」が漢字に訳されて「畢竟」になったのです。 サンスクリット語は古代インドで使われた言語でヒンドゥー教や仏教の礼拝用の言語として使われました。 「畢竟」はまず仏教用語として使われ、それが一般的にも使われるようになった言葉です。親鸞(しんらん)の残した教えの中にも「畢竟」を使った言葉があります。

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畢竟の類語は「迚もかくても・挙句」「極限・極度」

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「畢竟」の読み方や意味・語源が理解できたところで「畢竟」の類語を見てみましょう。「畢竟」の類語には様々な言葉がありますが、代表的なものは「迚もかくても」「挙句」「極限」「極度」です。 それぞれの微妙なニュアンスの違いを見てみましょう。

畢竟と「迚もかくても」の違い

「迚も」は難しくて読みにくい言葉です。「とても」と読みます。「迚もかくても」は「どうしてもこうしても」「どうせ」「しょせん」という意味になります。 「畢竟」は名詞的な使い方と副詞的な使い方が出来ますが、「迚もかくても」は副詞的な使い方しかできません。 「畢竟」には時間の経過を意識した「ついに」といった使い方と、何かを強調する「やはり」のような使い方がありますが、「迚もかくても」には強調の意味はありません。微妙なニュアンスの違いですが気を付けましょう。

 

畢竟と「挙句」の違い

「挙句」は「あげく」と読みます。「揚句」という字を使うこともあります。「挙句」の意味は「いろいろやってみた結果」です。 「畢竟」との決定的な違いは「挙句」の場合必ず「よくない結果」が後に続くことです。「いろいろやったが結局ダメだった」という使い方です。「畢竟」の場合は良い結果も悪い結果も続きます。 「挙句」も長い時間が経過した結果の状態を意識した表現ですが、「迚もかくても」のように副詞的な使い方に限定されてはいません。

畢竟と「極限」の違い

「極限」は数学用語として使われる用語が一般化したもので、「物事の限度ぎりぎりのところ」を意味します。数学用語では数値の連続がある一定の値に近づく場合、その値を「極限値」といいます。 「畢竟」と同様に名詞的にも副詞的に使われるだけでなく、「極限状態」や「極限環境」のように状態を修飾する言葉としても使われます。 「極限」は「畢竟」のような時間経過後の結果を表すようなニュアンスはなく、一つの状態を表す言葉として使われます。